出口戦略:取り崩し方をどう決めるか
資産形成の話の大半は「どう積み上げるか」に費やされます。ところが実際に難しいのは、積み上げたものをどう使うかのほうです。しかも、積立期に正しかった考え方のいくつかが、出口では逆になります。
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なぜ出口のほうが難しいのか
積立期には、下落は買い場でした。同じ金額でより多く買えるからです。ところが取り崩し期には、下落は「同じ金額を作るために、より多く売らなければならない」ことを意味します。まったく逆になります。
さらに、積立期には気にしなくてよかった「リターンの順番」が効いてきます。
リターンの順序の影響
積立期には、平均リターンが同じなら、順番はほとんど結果を変えません。ところが取り崩し期には、順番が結果を変えます。
理由は単純です。減った資産から引き出すと、残高がさらに減り、回復する元本そのものが小さくなります。あとで相場が戻っても、戻る対象が減ってしまっているのです。
退職直後の数年が、いちばん効く
取り崩し開始から最初の5年から10年に大きな下落が来ると、その後の資産の持ちに強く影響します。ここが出口戦略でもっとも注意すべき時期です。取り崩す順番
どの器から先に使うかで、非課税で運用できる期間の長さが変わります。一般に取り上げられるのは、課税口座を先に減らし、NISA をなるべく後に回す、という順序です。
ただし iDeCo は事情がちがいます。受取時に課税されるため、受け取り方(一時金か年金か)と、会社の退職金を受け取る年との兼ね合いで、有利不利が変わります。単純に「最後」とは言えません。
現金の層を持つ意味
数年分の生活費を現金で持っておくと、相場が下がっている年に売却せずに済みます。積立期の生活防衛資金が、出口では「売らずに待つための時間を買う仕組み」に変わります。定額で取り崩すか、定率で取り崩すか
定額(毎年○万円)
- 生活の見通しが立てやすい。必要な生活費から逆算できる。
- 物価に合わせて増額する設計にすれば、購買力を保てる。
- 計算がわかりやすく、必要額の逆算もしやすい。
定率(毎年残高の○%)
- 理論上は資産が尽きない。残高が減れば引き出す額も減るため。
- 相場が悪い年は自動的に引き出しが減るので、資産が守られる。
- 一方で、引き出せる実額が変動する。生活費として当てにしにくい。
実務では折衷が使われます。たとえば「定率で計算するが、下限と上限を設ける」「基本は定額だが、大きく下落した年は減額する」といった形です。どちらか一方に決める必要はありません。
4%ルールをどう扱うか
「資産の4%ずつ取り崩せば30年もつ」という目安が広く知られています。米国のトリニティ・スタディという研究に由来します。
この目安を日本で使うときには、いくつも留保がつきます。
- 米国の株式・債券の歴史的データに基づいています。日本の資産の実績はこれとは異なります。
- 30年で資産が尽きなければ成功、という定義です。40年、50年もつことは保証していません。
- 税金が考慮されていません。日本の課税口座では運用益に20.315%かかります。
- 信託報酬などのコストが考慮されていません。
- 為替の影響が考慮されていません。円建てで生活する人には、この変動が乗ります。
- 公的年金という「終身で受け取れる収入」が別にあることが考慮されていません。日本では、これがかなり効きます。
使い方としては
「4%が正解」ではなく、「引出率をどれくらいにすると、どれくらいもつのか」という感度を確かめる道具として使うのが実用的です。シミュレーターで引出率と実質リターンを動かせるようにしてあります。公的年金を出口戦略に組み込む
日本で出口を考えるとき、公的年金の扱いが実は最大の論点です。終身で受け取れて、物価にある程度連動する収入は、民間の商品では簡単には作れません。
受給開始を繰り下げると、1か月あたり0.7%ずつ年金額が増えます。70歳まで繰り下げれば42%増、75歳まで繰り下げれば84%増です。これは「長生きした場合の保険」として機能します。
したがって、「繰り下げている期間の生活費を資産から出し、そのぶん終身の年金額を増やす」という組み立て方があり得ます。資産を取り崩す代わりに、公的年金という終身収入を買っている、という見方もできます。
繰下げが常に有利とは限りません
早く亡くなった場合は、繰り下げないほうが受取総額は多くなります。また、繰下げで年金額が増えると、税や社会保険料も増えることがあります。健康状態、資産の額、家族構成によって答えが変わります。出口では、リスク資産を減らすべきか
減らすべき、という立場
- 取り崩し開始直後の下落が、その後の資産の持ちに強く効く(リターンの順序の影響)。
- 働いて取り返す時間がない。減収を労働で埋めることができない。
- 値動きの大きさが、生活の不安に直結する年代である。
減らしすぎるべきでない、という立場
- 65歳から30年生きる可能性がある。運用期間としてはまだ長い。
- 債券や現金中心にすると、インフレで購買力が目減りする。
- 公的年金という「債券に近い終身収入」がすでにあるので、資産側は株式を持てるという見方もできる。
どちらの立場にも根拠があります。実務的には「取り崩し開始前後の数年だけ、現金の層を厚くする」という形で、リターンの順序の影響だけを避ける設計が取られることがあります。
数字にならない論点
出口戦略の議論では、計算しにくいために触れられないことがあります。しかし実際には重要です。
- 判断能力の低下。認知機能が落ちてから複雑な取り崩しを続けるのは難しくなります。仕組みは単純なほうが安全です。
- 口座の把握。複数の金融機関に分散していると、本人以外が全体を把握できなくなります。一覧にして家族が分かる形にしておく必要があります。
- 相続。NISA口座は本人の死亡で終了し、相続人の課税口座に移ります。非課税は引き継げません。
- 取り崩しを始められない問題。長年積み上げてきた人ほど、使うことに抵抗が出ます。「使うために貯めた」ことを思い出す必要があります。
まとめ:先に決めておくこと
- 何歳から、月いくら取り崩すか。公的年金の見込額を引いた不足分から決めます。
- 定額か定率か。あるいはその折衷か。
- どの口座から順に取り崩すか。
- 大きく下落した年はどうするか(現金の層から出す、減額する、など)。
- 公的年金の受給開始をいつにするか。繰り下げるなら、その間の生活費をどこから出すか。
- iDeCo をどう受け取るか。会社の退職金と同じ年になるか。
これらを、相場が悪くなる前に決めておきます。下落しているときに決めようとすると、そのときの感情が判断に混ざります。
まだ通っていない道の話
出典
- [1]Cooley, Hubbard & Walz, AAII Journal「Retirement Savings: Choosing a Withdrawal Rate That Is Sustainable(Trinity Study)」米国の歴史的データに基づく研究。日本の投資家にそのまま当てはまるものではない。
- [2]厚生労働省「2024(令和6)年財政検証結果」公的年金の長期見通し。複数の経済前提ケースごとの所得代替率を示す。